どこからが「勉強」か?

うちの塾のフリースタイル式「勉強」では、まず「勉強」をできるようにするところから指導が始まる(これだけで何ヶ月もかかることは珍しくない)。

ここで言う「勉強」とはどういうものか?

よく、「問題を解く」→「丸つけをする」→「(正しい答えを書き写す)」という動作で終えている生徒がいるが、これは当塾においては「勉強」しているとはみなされない。「勉強」の準備運動段階でしかない。

「勉強」は、「自分が分からないものが分かるようになる」「自分ができなかったものができるようになる」ための行動である。

目の前の問題を解き、答えを確認する。これは「自分が分からないもの・できないもの」を仕分けするための段階だ。

「勉強」は仕分けしたところがスタートライン。ここから、分からないものをあれこれ理解しにいく(参考書を開いたり、質問を投げたりする)、できないものは例題や類題を照合させながらできるように演習を重ねていく。

仕分けの際に解けなかったものはもちろん、解答解説を確認してみたら、仮に正解している問題であっても曖昧さが残るものが出てくる。そういうのも「分からないもの」に仕分けして、きっちりと理解しにいく必要がある。これはなかなか難しい。自分自身を誤魔化さず、自らに厳しくあらねば十分な「勉強」にはならない。

多くの生徒は、仕分け作業と「勉強」の区別がついておらず、学力が振るわない生徒のほとんどは仕分け作業で終わっている現実がある。そこから「勉強」に踏み出し、それが自然化するところまでにまず歩みを進めるのが当塾の指導の肝たる部分。

そしてさらにレベルアップしてくると、その仕分け作業自体も「勉強」として自らの血肉にしていけるようになる。問題を解くことそのものが、思考の海を泳ぐことになる。難関大に合格する人というのは、それが無意識に自然にできるようになっている人。そして、仕分けもなにもかも区別がなく、生きている一分一秒を勉強時間としていけるようになれば言うことはない。

新たに入塾してくる生徒は、そもそも「勉強」のスタートラインに立てていないことも多い(問題を解いて答え合わせするという一連の仕分け作業も怪しいということ)。それはそれで仕方のないことでもある。着実にできるようにじっくり鍛錬を積んでいけばいい。

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