千葉県野田市柳沢の個別学習塾「寺子屋はじめ」です!
はい、桃髪親父こと、塾長の安田です。髪の毛からすっかりピンクが抜けてしまいました。来月美容院に行くまで、ただの茶髪親父であることお許しください。
さて、当塾では集団個別形式の指導形態を取っております。必然的に、生徒は「先生が話しているのを見る」のではなく、自ら頭を使って、手を動かして取り組むことになります。
これが最初は大変です。
手を動かしていても、頭が動いているかはパッと見は分かりにくい。塾長とて、勉強の様子を見つつ、解いたモノを見つつ、と複合的に観察しながら頭の動きを推し測っています。
これは「自ら学ぶ力」を身につけるための鍛錬をしていると言ってもいいでしょう。すなわち、「自学力」とでも言えるでしょうか。
「自学力」とは
さて、「自学力」は「自ら学ぶ力」と述べましたが、「自ら」はなんと読むでしょうか。
多くの人は「みずから」と読んだと思います。それで間違いはないでしょう。自分自身の意思を持ち、自分から率先して学ぶ姿勢は大切です。ですが、寺子屋はじめではもう一つ、「おのずから」と読む意味も込めたいと考えています。
つまり、「みずから」意識的に学ぶだけではなく、「おのずから」自然に「学ぶ」ということ。
ここで、「自学力」の「学」と連動します。
「学ぶ」というのはなにも学校のお勉強に限った話ではありません。人間が生きることはすなわち全てが学びの中にあります。教科書的なお勉強は日本の受験システム上頑張った方が「かなりお得」ですが、それだけでは「つまらない」。日々の全てが学びであることをまずは意識化。ただし、常に意識していると疲れますから、だんだんと無意識化させていく。こういう鍛錬は若いうちにしておくべきです。
たまに、それほど勉強している様子もないのにやたらと成績がよく、頭の回る子がいるでしょう?
みんなよく才能や遺伝という言葉で終えてしまいますが、個人的にはこの「日々の学びの無意識化」がキーだと見ています。
当然、生育環境や遺伝的な才能も影響はあるでしょうが、後天的にある程度の鍛錬は可能なのではないでしょうか?
その後天的鍛錬の環境として、「寺子屋はじめ」という塾を作っています。このような学びに対しての「はじめ」の一歩を踏み出せる塾、というところですかね。
「自学力」と塾
では、「自学力」というのが身につけばそれでOK!かと言うと、世の中そう簡単ではないのです。勉強に限らず、なにかの修行、鍛錬をする場合には、師たる者がいたほうがいい。「自学力」を身につけるのは大切ですが、このあたりを勘違いしないほうがいいでしょう。鎌倉時代の僧、道元も著作である『正法眼蔵』自証三昧の巻でこう述べています。
自証自悟等の道をききて、麁人おもはくは、師に伝授すべからず、自学すべし。これはおほきなるあやまりなり。
『正法眼蔵』自証三昧
オリンピックに出場する一流アスリートも、自分一人で優れたアスリートになったわけではありません。当然、本人の努力や才能は大切ですが、適切なコーチやトレーナーと巡り会い、教えや助言を受けることで成長するのです。そういう指導やサポートを120%活かす力として、「自学力」というものを身につけ、伸ばしたいですね。
寺子屋はじめでは、その点を第一に置いた指導を行います。机に向かう教科書的な勉強を通して、おのずから頭を働かせ、常に「勉強」する頭にしていく。世間的には「思考力」みたいに呼ばれるものなのでしょうが、これによって、日々の勉強や受験を、塾の力を自ら利用しながらクリアしていき、将来に羽ばたいていく。そうありたいと思います。