大学受験を前提として

寺子屋はじめでは、いかなる生徒であれ、「大学受験をするだろう」という前提で指導をしている。

無論、進路は生徒自身が決めるものであり、そこは(多分私は常軌を逸しているくらいには)自由だと考えている。これまでの教え子でも、短大進学者もいれば専門学校に進んだ子もいるし、自衛隊に入った子だっている。自分の人生なのだから好きに選んだらいいのである。女子でも四年制大学への進学率が50%を超えたようだが、だからといって流れのように行こうとしなくてもいい。いやまあ進学できるならしておいた方がいい気はするし、宮沢雪野みたいに「のちのち大学」という選択肢もありだ(『彼氏彼女の事情』を参考のこと)。

大切なのは、どういう進路を取るにしても、「現在」という時間においては、未来の選択肢を最初から捨てずに下地をきっちり作る、ということ。

最初は進学する気がなかった子が大学進学をしたいとなった時に、その前提のない学習をしていたのではなかなか目標達成は困難になる可能性が高い。

推薦で行きたければ高校の初っ端から高成績を取り続けるのが基本であって、それは当然、学習姿勢から基礎学力からを小中学生の間に鍛えていることが前提である。

一般入試?国公立?それはもっと大変だろう。ましてや当塾は千葉県にあるので、首都圏の私大や国公立大への進学をぼんやりと考える中高生が多い。この首都圏の大学受験がめっちゃ厳しくなったご時世で!「学校の勉強についていく」「学校の定期考査ができている」では多くの場合通用しない(たまに通用する学校もあるが)。

英単語ひとつの覚え方だってそう。高校受験をそこそこで乗り切ってあとは知らねーとするのであれば、発音はローマ字読みでひたすら書かせる、みたいなのでもまあそこそこにはなる(リスニングが厳しいがそれでもちょっとは取れるので、50〜60点で乗り切って他教科頼み、は中堅より少し上のレベルでも通用してしまう)。

でもね、そうではないのだ。

音とスペルを合わせる。フォニックスと言うほどでもないが、ある程度きちんと合わせるのは必要。正しい(受験的にではあるが)発音による学習が欠かせない。

そしてそれは難しい技法でもなんでもなく、言語習得の基本であって、中学生だからといって難しいということもない。適切な学習を積み重ねていけば、自ずと結果はついてくる。

そんなわけで、どの教科も大学受験するのは前提。その上で、まずは近い受験、高校受験に向かっていくのである。

ただし、受験勉強を、ただ「目の前の壁」と見做し、それを乗り越えるためだけに塾に通ってそれに対応しただけの「勉強(っぽいもの)」をするのでは、つまらないではないですか。

人生は短いようで長く、長いようで短い。生徒自身の青春という少ない時間、家計の中の少なくない金銭を投じて塾に通うのであるから、どうせならつまらないことではなく、「現在」という受験に向かうことと、「未来」において自由意志で生きていけるように、という両方を追い求めてもいいのではないかと思うのです。

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