教え子からの受験報告

私が中1の終わりから高2の終わりまで、約4年ほど面倒を見た生徒がいる。

彼はこの春、晴れて大学生になることが決まった。

高2の終わりで他所に預けざるを得なかったことは、1年前も今も、心に刺さるものがある。無論、職場を退職するにあたってはやむを得ないことではあったが……。生徒の引き抜きは業界のご法度であるので、オンラインや家庭教師で引き続き見るということは難しかった

彼の姉を中2夏〜中3の終わりまで指導していた縁もあって、ご入塾いただいた。姉は中学卒業とともに塾も卒業となったが、高校進学後も、その後の専門学校進学後も付き合いは続いていて、先刻もなかなかいい就職が決まったと報告してくれた。

さて、弟くんである彼である。

正直、入塾時の学力・気力ともに、「どうすんねんワレェ……」という状態。勉強が苦手な中2の男の子はまぁなかなかに難しいもので、典型的な「中だるみ」もあったろう、信頼して預けていただいていても1年間なかなか伸びず、学年末テストの理科では5点を持ってくる有様で、春の保護者面談でも私はほぼ顔面蒼白で話していたことと思う。

彼が中3になるタイミングで、塾の講師不足がいよいよ極まってきた。もとより、大学進学する子があまりいない地域である(その地域で育った講師がことあるごとに言っていたくらい)。駅からも遠く、学生講師の絶対数が少ないのは仕方ない。

ということで、非常手段も兼ねて、私が複数名の受験生を受け持つことにした。で、彼もまた私が直接見ることになったのである。

どのタイミングだろうか、やはり夏くらいまではやる気の「や」の字も怪しかったと思うが、何か覚醒したかのように夏前後くらいから取り組みが良くなった。彼の目指すのは地域の中堅高校。基準偏差値は50ほど。ちなみに彼の偏差値は35前後。

この辺りの勉強の変遷はよくあることなので割愛させてもらうが、分数の計算すら怪しかった子が、冬頃には理科の計算問題はほぼ制覇するなどなかなかいい成長をしたと思う。計算というだけで苦手意識を全開にする子が多い中、素直に教えたとおりに全て同じように捌く、をうまく徹底してくれた様子が記憶に残っている。

さて、そんな状態でも、千葉公立高校の前期入試では不合格だった。

まあ誰から言わせても当たり前だったのだろう。模試会社のデータから、合格に必要な最低内申点が大体わかるのだが、それを5ポイント下回っていたし、2日目の自己表現や面接の比重が高い学校である。5教科はギリギリ足りるか、という数字だったはずだが、自己表現は実技組を圧倒できるくらいの作文能力には達していなかった。面接はある程度サマにはなっていたとは思うのだが。

そうそう、面接といえば、お母様や姉にも家でだいぶ練習してもらったとのこと。塾でも練習はするが、想定問答の中身は自分で考えさせるのが常なので、家でも協力していただけたのはとてもありがたいことである。

後ほどお母様に聞いた話、「尊敬する人」の問答で私のことを挙げてくれたらしい。

そこでの私の感情はご想像にお任せするとして、後期入試である。もう最悪私立でも、という腹を括って、同じ学校に再挑戦である。

自己採点の結果は芳しくはなかったが、無事、合格した。おそらくは合格者の中でも最低値ギリギリに近いと思われる。実際、模試会社が翌年出したデータだと、合格者の最低内申点が彼の数字に更新されていたので、つまりはそういうことだろう。

この時点ではまだ大学という選択肢はあまりなかったと思う(これは分からない。中学生にもことあるごとにけしかける言動をしているようなので……)。大学進学者がそれほど多い高校ではないし、進学する生徒の大半は推薦かAO(現在の総合型入試)。
それでも高校入学後も継続して塾に通ってくれた。引き続き私がサポートして見る形である。

まあ学力最低ラインから入学しただけあって、油断即低迷である。定期考査をなんとか乗り切る、というのもわりとギリギリで、これ進級できるんかいなという状態だった。もう少し余裕を持てるように鍛えられればとは思ったのだが……高校入学後は多少の貯金程度では数ヶ月で底をつくし、遊びたい盛りだったのもあったろう、部活にバイトにとなったらそりゃあそうなるだろう。

そんな彼だが、また高2くらいで火がつく(今度は早めだった)。高1の間は我慢我慢。見ているこっちがハラハラして胃が痛くなるくらいだったが。笑

火がついてから半年ほど、私が退職するギリギリまでひたすら基礎固め。数学などは厳しかったので、文系科目に絞り込んで、英語を中心に。高3になるタイミングでは、彼の気質でも大学受験に向かえる中堅どころの予備校を勧めた。途中、心が折れかけていたが(姉からも本人からも相談をもらった)、無事1年そこで完走したのである。実はこの選択は私の中で今でも正しかったのか、疑問と葛藤はある。

そして、滑り止めとして中堅どころではもっとも有名?な某大学に合格した。その高校から、その大学のその学科に一般で通るのはかなり奇跡的と言ってもいいだろう。校内でべらぼうに勉強できる上位の子がどうか、というレベル。

しかし、もっと難関の大学は花咲かず。これは仕方ない。

いや仕方ないのか?という思いはあるが、仮に私がずっと見ていたとしても、結果は大きくは変わらなかったかもしれない。人生にIFはない。言っても詮ないことだ。

彼自身が本心でどう思っているかは分からないが、私としての一番の心残り、刺さっている棘は、当初に掲げていて、直前まで掲げていた本命を受験できなかったことである。実力がそこまで届いていなければ、他大学の日程との取捨選択であったり、心持ちの関係上仕方のないことではあるが、そこにチャレンジしてワンチャン、くらいまではなんとかしてあげたかったという思いがある。

いや、これは指導者のエゴなんですよ。高校生なんだから、自分でそこに至るまで切り拓くことしかできないし、我々はそれをサポートすることしかできないわけです。しかしどうしてもこう考えてしまうのは私がまだ未熟であるからでしょう。達観できていないし、入り込みすぎる。不合格の報を聞くと全て自分の責任ではないかとあれこれ背負い込んでしまう。これは傲慢だ。基本的には生徒の人生の繁栄であり、そして試験は当日の運不運にも左右される。傲慢に至ってしまう程度には私はまだまだということ。

途中、浪人してどうこうまで考えていた子が、そして大学進学が眼中になかった子が、無事にしっかりと学力をつけて大学進学するのは嬉しいこと。私がいなければ目指してすらいなかったと言ってくれたのも嬉しいことであるが、なにぶん、一番肝心な1年を見れなかったことや、結果としては受験の合否以外の部分で棘というかしこりが残っているのではないかということ。少なくとも私にはそれがある。

ただ、そういう棘(もしくはしこり)は、受験に限らず、人が生きる限りはどこかで抱え込み、従容として受け入れながら、歳を重ねていくものなのだろうと思うのだ。彼がこの受験の過程と結果をどう思うか、本当のところは彼自身にしか分からないし、彼自身も今は分からないかもしれない。

長い人生、自分の出身大学の名前などはひととき役に立つかどうか程度だ。自分がそこで何を成し、先の人生でいかに生きるかが大切なのだ、というのは、この先気づいてくれればよい。目的もなくフラフラしそうになっていたところを、大学受験に心から打ち込んで貫き通したことに対して、賞賛を送りたい。

彼には「人生これからが本番」と言ってある。受験生は一時的に受験がすべて、になってしまうものだから(それはどうかとも思うが、その予備校に行けと言った以上そうなってしまうのは仕方ない面がある。これが杞憂だった、となるように彼には期待したいところ)、少し落ち着いたら、きちんと前を向いて歩んでほしいという願いを込めている。

私もまた、本命は受けられず(これは国語Ⅰを手前に配してミスを誘う問題冊子の作りが悪い←未だに拘っている)、結局は滑り止めで一度もキャンパスを見ていない、赤本すら開いていない大学に入ったわけだが、全く後悔はない。実力でもあり、運命でもあったのだろう。それを受け入れてからだいぶものの見方も変わった気がする。

今日から10日にかけて、国公立前期の結果も出揃ってくる。結果は様々だろう。どういう結果であっても、それを受け入れてみよう。時間はかかってもいい。その先に、何かしらの道が続くのである。

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